2012年2月22日水曜日

生徒を自立させることこそ真の指導                            ~「ドラゴン桜」との意外な共通点~

学習塾の本来あるべき指導の姿とは「生徒に教えすぎることなく自分で考えさせることである」という思いのもと、昨今の手取り足取り指導を謳う塾業界に一石を投じるため、我々は大泉英数研究室を開設した。

昨今、「子供の思考力を育てる」という理想的な(しかし実は何の根拠もない)キャッチフレーズに飛びつく一方で、他人に習わなくてもよいはずの教科や単元(例えば中学の理科(計算が伴わないもの)・社会など)まで指導を求める傾向がある。他人に習わなくてよいものまで他人に教わって、思考力など育つどころかその妨げになるというのに・・・
(理科や社会の塾講師から反発を受けそうだから言っておくと、高校の物理全般と化学の理論・計算部分については適切な指導を受けることは必要だと思う。しかし、それ以外のものは指導を受ける必要など全くないし、指導される時間を憶える時間にあてた方がよっぽど効率的だ。憶えていなければ1点にもならないが、憶えていれば満点近い点数を取れる科目なのである。実際、田舎の子供たち(私もそうであったし、私の周りの中高生たちもそうであった)は昔からずっとそうしているし、それで何も問題はないのだから。


ずっとその存在は知りつつも見たことがなかったドラマ「ドラゴン桜」を先日5年遅れくらいで見させていただいた(内容についてはほとんど知っていたので、ドラマまではチェックしていなかったので)。その中に我々の理念と共通する考え方があったので、紹介したい。(私の言うことだと反論したくなる人達も、ドラマの主人公のセリフなら素直に受け入れられるのではないだろうか?)
阿部寛さん扮する桜木建二(以下S)と長谷川京子さん扮する井野真々子(以下I)との会話シーン(というより説教シーンかな)
S「ここは海で、そしてお前の目の前に腹を空かせた生徒達が倒れている。お前は釣竿を一本持っていて、魚の釣り方をよく知っている。どうする?」
I「魚を釣ってあげます。」
S「だからお前はダメなんだよ。」
I「だって、お腹が空いてて動けないんでしょ?面倒見てあげるのは当り前じゃないですか?」
S「じゃぁ、奴らが高校を卒業した後はどうするんだよ?」
I「え??」
S「いいか?お前の言い分は一見人間愛に満ちていて生徒思いのように見えるが、実は心の奥底は奴らを過小評価していて、能力を認めてねぇ。一生あいつらの魚を釣ってやるつもりか?それとも、あいつらが高校を卒業したら途端に知らん顔か?その場凌ぎで魚を釣ってやるよりも、奴らが自力で食っていけるように魚の釣り方をきちんと教えてやるのが大事なんじゃないのか?いいか、いい教師ってのはたとえ生徒が今は出来なくても出来るようになると信頼して、最低限のサポートをする。後は生徒の自立に任せられる教師だろ?!その代わり、生徒達を甘やかさず、少し努力すれば乗り越えられる壁を用意してやる。そして奴らが自分で考え、自分で決め、自分で行動する自立心を育ててゆく。」

「ドラゴン桜」をご存じない人のために人物紹介を・・・
桜木建二(さくらぎ けんじ)・・・元暴走族で、今は弁護士。警察に捕まってから改心して勉強し、東大に合格したが、進学せず弁護士の道を選ぶ。偏差値最底辺高校龍山から東大合格者を5人出すと宣言し、特別進学クラスを創設する。徹底的な合理主義者で曖昧な言動や小さな反発には容赦なく現実を突き付けて黙らせる。


「塾で手取り足取り指導してもらって成績が上がった」ということがもてはやされる風潮の中で、「いつまで手取り足取り教え続けるのか?」「手取り足取り教えることが本当に子供の人間的成長にとって+になるのか?」「手取り足取り教えることで自分では何も考えられない人間にしてしまってはいないか?」「一見、子供思いのように見えて、実は心の奥底は子供を過小評価していて、能力を認めていないのではないか? 一生子供の世話をしてやるつもりなのか?」という疑問を是非とも持っていただきたいというのが我々の切なる願いである。このような我々の思いをご理解して下さり、これまでご入室いただいた保護者の皆様にこの場をかりて感謝の意を表したい。


上記エピソード以外にも我々がこれまで塾内外で訴えてきたこととほとんど同じことが「ドラゴン桜」の中で桜木によって語られるのには少々驚いた。「ドラゴン桜」が放送された時は視聴率も人気も高かったし、実際の入試にもかなりの影響を与えたと耳にしていたからだ。それほど一般的に受け入れられやすい考えなら、他の塾もそれを採用してもっとまともな合格率(合格者数でないことに注意!)を出せるのではないだろうか。ドラマの中で語られることなど、所詮は「自分とは関係のないこと」であって、自分にとって都合の良いことだけしか聞こえないのかもしれない。本当に自分のためになるのは、その聞こえない部分だというのに・・・
それはどのような考え方なのだろう?と気になる方も少しはいらっしゃると思うが、
“ それはまた別の話 ”(王様のレストラン風に)
ということにしておこう・・・

(注)「ドラゴン桜」に出てくる学習法を肯定しているわけではありません。

2012年2月13日月曜日

基礎の徹底~開成高校合格率85%の理由~

本年度は開成高校に2名が受験して2名が合格した。これで当研究室開室以来、7名が開成高校を受験して6名が合格したことになる。その合格率は実に85%を上回る。
この内、当室独自の判断基準で開成高校に合格できると判断した生徒は6名で、6名全員が合格した。こちらが合格は難しいと判断しても、生徒が受験したいと言う場合には、無理にそれを止めることはできないので、さすがに合格率100%というわけにはいかない。逆に、どこかの塾のように本人が受けたいと言っているわけでもないのにしつこく勧めて受験させるというようなこともしない。
「開成高校合格〇〇人!」と騒いでいる塾があるようだが、合格者数で騒ぐのは止めて、開成高校に何人受験して何人が合格したのかを発表していただきたいものである。でないと、毎年卒業生の何人(何十人?何百人?)かは単なる “数打ちゃ当たる”傭員にされ続けることになるだろう。


他塾には真似のできない高い合格率をどうして当室が出すことができるのか?
それは基礎を徹底しているからである。
「そんなことどこの塾でもやっているのではないか!?」という声が聞こえてきそうだが、私には、言っているだけでやっていないとしか見えない。“言う” のと “やる” のは全く違うということくらい誰だって分かっているはずなのに、多くの保護者は “塾が言っていること(スローガン)” にばかり気を取られて入塾させて、“塾がやっていること(現実)”の検証はしていないのではないだろうか?
どの塾もスローガンだけは立派なものが並んでいる。「量より質の学習」、「応用に結びつく基礎力の養成」、「思考力を育む授業」等々。しかし実際は、沢山の宿題を出したり、講習や合宿や特訓と称して長時間生徒を拘束して沢山の課題をやらせているのが現実であるし、どこまでが基礎でどこからが応用なのかの規定もなければ、思考力の定義もしない。スローガンの独り歩きもいいところである。塾が掲げたスローガンや指導方針に生徒が勝手に従わずに成績が伸びないのは生徒の責任だが、塾が自ら掲げたスローガンや指導方針とは異なる指導をして生徒の成績が伸びないのであれば、それは詐欺ではないのか?!


“基礎の徹底” それは世の中で思われているほど簡単なことではない。
“徹底”するためには何度も同じことを繰り返さなければならない。ということは、限られた勉強時間では沢山のものをやらせることはできないはずなのである。
つまり、「沢山のものをやる」≒「徹底できていない」ということである。
にもかかわらず、なぜ多くの塾が沢山の宿題を出し、講習などと称して長時間生徒を拘束して沢山の課題をやらせようとするのか? また、なぜ生徒も保護者も何の疑問も持たずにそれに従うのか?
それは、沢山のものをやらせていれば、沢山のものをやらされていれば、互いに安心できるからだ。
そして、その安心と引き換えに、基礎を徹底できないままになってしまうのである。
「沢山のものをやらせない」ためには、指導する側の力量が問われる。自分の教えることで合格するのに必要十分であるという確信が。でないと生徒はついてこれない。そんな力量のある指導者がほとんどいないというのが現実なのだろう。


このような正論をいくら語ったところで、それを理解して下さり当室に生徒を通わせていただける保護者の皆様がいらっしゃらなければ、この正論も机上の空論に終わってしまう。
当室の指導方針を理解し賛同して下さったこれまでの保護者の皆様、そしてこれから理解して下さるであろう方々に感謝いたします。